第28回 “地震への備えー江戸時代の巨大地震ー” (温故知新〜うと学だより〜)

2017年05月18日

 平成28年8月号の「宇土における過去の地震」の中で、過去熊本で起きた地震を紹介しました。その最後に、私たちが体験した地震の記録を残すことが、将来の地震被害軽減につながると述べました。では、今後どのような地震が起こる可能性があるのでしょうか。今回は江戸時代に発生した巨大地震を紹介して、熊本での被害状況を見ていきたいと思います。

1707年

 まず、江戸時代の巨大地震と言えば、宝永7年(1707)10月4日に発生した、いわゆる「宝永地震」が挙げられます。紀伊半島沖を震源とする大地震で、記録が残る中では、日本史上最大級の地震と言われています。地震の規模を示すマグニチュードは推定8.6で、発生後は余震が続き、翌月に起きた富士山の大噴火(宝永大噴火)は、この地震が原因だと考えられています。この地震では、遠く離れた熊本でも大きな揺れが襲い、震度5~6と推定されています。熊本での死者は出なかったものの、家屋470棟が倒壊したと報告されています。

1854年

 幕末、ペリー来航翌年の嘉永7年(1854)11月5日、紀伊半島沖から四国沖を震源とする推定マグニチュード8.4の安政南海地震が発生し、太平洋沿岸部に大津波をもたらしました。熊本は震度5弱と推定され、被害は死者6人、家屋倒壊907棟と甚大なものでした。大地震や世情不安を振り払うため、地震後に元号が「嘉永」から「安政」に改元されました。また、江戸時代中頃の明和6年(1769)7月28日に発生した大分県沖の豊後水道を震源とする推定マグニチュード7.8の地震では、熊本は震度5弱と推定され、死者1人、家屋倒壊115棟という被害が出ています。

南海トラフ

 このように、熊本から遠く離れた震源で起きた地震でも、その規模によっては熊本も大きく揺れることが予想されます。上記に紹介した宝永大地震や安政南海地震は、いずれも「南海トラフ」と呼ばれる駿河湾から四国沖に延びる水深4,000メートルの溝(トラフ)付近で起きた巨大地震です。近い将来、この南海トラフ巨大地震が発生する可能性も指摘されています。地震調査研究推進本部の調査によれば、南海トラフを震源とするマグニチュード8~9クラスの巨大地震が、今後30年以内に発生する確率は60%~70%程度とされ、これが今後50年以内となると90%程度以上の確率に上昇します。こうした地震が起きた場合、国の調査では熊本地方は最大震度5弱~5強程度の揺れが伴うと想定しており、これは今年4月14日の前震と同規模の揺れです。

 地震はいつ起こるか分かりません。住宅の耐震や家具の転倒防止など日頃からしっかりと備えておきましょう。

参考資料
  • 『熊本県災異誌』(熊本観候所、1952年)
  • 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ「南海トラフ巨大地震の被害想定について(第二次報告)」平成25年3月
  • 地震調査研究推進本部「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)について」平成25年5月
  • 内閣府(防災担当)編『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1707宝永地震』平成26年3月


江戸時代以降の南海トラフ巨大地震
発生年地震名震源マグニチュード(推定)熊本の震度(推定)熊本の被害
慶長9年(1604)慶長地震四国沖?7.9~8.0不明不明。
宝永4年(1707)宝永地震紀伊半島沖8.65~6家屋倒壊470棟。橋破損9箇所。人吉城破損。
嘉永7年(1854)安政東海地震遠州灘沖8.43不明。
嘉永7年(1854)安政南海地震紀伊半島沖~四国沖8.45弱死者6人。家屋倒壊907棟。
昭和19年(1944)昭和東南海地震熊野灘沖7.91不明。
昭和21年(1946)昭和南海地震紀伊半島沖8.04死者2人。負傷者1人。家屋倒壊6棟。


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